35源頼朝、足利尊氏、織田信長 何か違和感感じませんか?
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- Опубликовано: 11 фев 2025
- ・みなもとのよりとも あしかがたかうじ おだのぶなが
・何か違和感ありませんか^^?
氏姓制度
・大和王権(大和朝廷)への貢献度・政治上での地位に応じて与えられた。
・氏・・・有力豪族の血縁集団・連合体の総称
・姓・・・地名による氏(蘇我氏・葛城氏・吉備氏等)と職掌による氏(物部氏・大伴氏・中臣氏等)
大和朝廷に何らかの形で寄与していたとされる有力な集団
有力豪族の細分化
①臣(おみ)・・・葛城氏、平郡氏、巨勢氏、蘇我氏など大和朝廷周辺の地名を氏の名とした最高位
②連(むらじ)・・・大伴氏、物部氏、忌部氏、土師氏、など王族に従属する官人(役人)であることが多く重要な地位にいたとされる。
③伴造(とものみやつこ)・・・弓削氏、矢集氏(やずめし)、服部氏、犬養氏・泰氏など中堅豪族や帰化人が含まれる。
④百八十部(ももあまりやそのとも)・・・部(一族)を直接指揮する伴(とも)をさす。姓としては首(おびと)、史(ふみと)村主(すぐり)など
⑤国造(くにのみやつこ)・・・代表的な地方豪族。姓として君(きみ)、直(あたい)、臣(おみ)など
⑥県主(あがたぬし)古来から存在している、かつ小範囲を勢力とする族長を指す。地名を氏として名乗っていた。
八色の姓の制定
684年、天武天皇が制定
乱立していた氏姓制度を8つに再構成→新しい秩序
1に曰く 真人(まひと)
2に曰く 朝臣(あそん)
3に曰く 宿禰(すくね)
4に曰く 忌寸(いみき)
5に曰く 道師(みちのし)
6に曰く 臣(おみ)
7に曰く 連(むらじ)
8に曰く 稲置(いなぎ)
最終的に 朝臣(52氏)、宿禰(50氏)、忌寸(11氏)に集約
臣籍降下
天皇一族に連なるものが皇族から臣下の地位に降下して使えた
例
桓武天皇・・・桓武平氏
清和天皇・・・清和源氏
10世紀ごろには制度として崩壊し、武士にも浸透しはじめる。
貴族は家名(氏姓制度の踏襲)、武士は苗字を使用し始める
人気の4姓
朝臣を使用した、源朝臣(みなもとのあそん)、平朝臣(たいらのあそん)、藤朝臣(ふじのあそん)、橘朝臣(たちばなのあそん)
また時代を経て集団として大きくなりすぎたことや武士の台頭
様々な要因を含みつつ、次第に氏姓制度は有名無実と化して苗字が
台頭していく。その過度期が鎌倉時代に求められて、それまで(○○の✕✕)と名乗り氏姓制度を取り入れた呼称から(○○✕✕)と氏姓制度を使用しない苗字が主流となっていく。
※戦国時代から江戸初期に実在した菊亭春季(きくていはるすえ)は貴族として従一位・右大臣にまで登り詰めた人物。氏姓制度を使用していないことが名前から判別することが可能。
制度としては明治時代(明治4年10月12日(旧暦))の本姓廃止まで存続した。